■ 合戦において、指揮官は必要なのか?

ご存知の通り、合戦とは最大500人vs500人、合計1000人もの人が集まって行われる大規模な対人です。
数人単位同士の戦いである部曲戦とは訳が違いますので、部曲戦の戦い方をしていても合戦では勝てません。

それほど大人数同士の戦いになるのであれば、味方への指示、前線への誘導など、
戦いを指揮するいわば「指揮官」と言われる代表者の存在が気になります。
果たして三Onの合戦において、「指揮官」は必要なのでしょうか?そのあたりを考察します。

● 群知能

集団は人数が多くなればなるほど、まとまって動くことが困難になってきます。
しかし組織化されていない集団でも、個々人が迫り来る状況に対し、
臨機応変に適当な判断を行うことで、あたかも何者かに指揮されたかのように振舞うこともあるそうです。
動物の本能的な群れ行動や、極限状態に置かれた群衆や暴徒などが、これに当たるのだとか。これを「群知能」といいます。

しかし「群知能」というものは、どちらかといえば本能的な行動です。
意図的にタイミングよく個々人が発揮しうることのできる代物ではありません。
その集団の中に幾つかの共通認識が必要とされる事もあり、
条件が満たされていても必ずしも起こり得る保障はないものです。

リアルならともかく、ゲームでの三Onの合戦においては、「群知能」なるものが活かされる事などは、
全くもって期待しない方がよいです。

● 合戦に求めるもの

あくまで三Onはゲームですし、ゲームである以上楽しむことが最優先となります。
合戦に出ている人もやはり「楽しさ」を皆求めています。楽しくなければ合戦などには参加しないでしょう。

そして人は十人十色です、合戦で勝つことだけが「楽しさ」だという人もいれば、
負けてもいいから戦いが楽しければそれでOK、という人もいます。

例えば極端な例を挙げるなら、「合戦で勝つこと」を最優先に考える人が多い勢力と、
「楽しければ負けてもいい」と考える人が多い勢力とが戦うと、やはりその意欲の違いが合戦成果に如実に現れてきます。

コーエーのゲームの特徴ですが、「目的のためにすごく頑張っていて、それも含めて楽しみたい人」と
「目的は達成できなくてもいいから、適当に好きなようにやって楽しみたい人」とに大きく二分できます。
どちらが正しい、正しくないという話ではありませんが、この温度差の違う2つを比べると、確実に意欲も違うわけですね。
やはり前者の考えの人が多い勢力のほうが、合戦での勝率は高いのでしょう。

しかしながら面白いことに、各勢力を見ていると必ずしもそうとは限らないのです。
こう言っては何ですが、「適当にやってる人が多い」勢力でも、合戦の勝率が高いところもあるのです。

繰り返しますが、それがよい、悪いという話ではありません。
大事なのはその勢力の特色に合ったやり方で合戦を進めていくということです。
他所の勢力のやり方をそのまま違う勢力にもっていっても、うまくいくことはないでしょう。
これは後述の、勢力によって指揮官が必要か、そうでないか、という点に結びつきます。

● 三Onお国事情

ワールド、勢力ごとに様々な人がいて、どういう性質を持った人がそこの勢力に多くいるか、で特色というものが変わってきます。
いわば「国民性」といえるものでしょうが、各部曲の交友図式、活性具合などを含めて広く言えば「お国事情」かもしれません。

そして勢力によっては、合戦の勝利のために多くの部曲が一致団結しているところもあれば、
ほとんど団結がなく、各部曲が単体で、時に親交のある部曲同士での連合を編成した上で、
それぞれが各自の判断で合戦の作戦行動をとっているところもあります。

このように三On9勢力内で様々なお国事情がありますが、実は「指揮官」が存在している勢力はあります。
勢力によっては陣毎に指揮官が入れ替わっていたり、まったく存在していなかったりしますが、
一時的にとはいえ「指揮官」のような役割を担っている方々は確実におられるのです。

● 指揮官は必要か?

例えばこれが現実世界の戦争ということになると、「指揮官」いわば集団を統率する立場の人間は必ず必要となります。
確実に作戦を遂行するためには全員が連動して動かなくてはならず、
1人でもそれを乱すものがあれば作戦成功において致命的な欠陥となります。
このあたりはアメリカの軍隊や日本の自衛隊の様子を見ているだけでも、誰しも分かることだと思います。

三Onというゲームにおいても、合戦で皆が理にかなった効率的な動きをすることができれば、
確実に合戦での勝率が上がるということは、誰しもが思うことですね。
そのために「指揮官」が必要ではないか?と考える人がいて当然です。

考察すべき主なポイントとしては、以下の通りだと思います。

・指揮の強制力
指揮官がいたとしても、その指揮官の発言に強制力と拘束力を持たせるのは、
ゲームシステム的にもプレイヤー感情的にも不可能といえます。
誰かに指図されることに不快感を覚える人もいれば、自分の直感だけを頼りに奔放に動きたい人もいます。
また別に指揮官の指示通りに動かないとペナルティを受ける、なんてシステムもありませんし、
ゲームシステムには指揮官というポジションすら用意されていません。

しかもそれなりに優秀な指揮官であっても、必ずその指揮に反発したり、話し合いを求める人が出てきます。
こうなると指揮官をやる人も大変です、指揮官自身にも負担がかかってしまうのです。

・誰が「指揮官」になるのか?
指揮官とは人に対して指示を出したり、状況を見て適切に判断できる判断能力、
時には有志の人に協力を仰ぐ交渉力も必要となり、誰でもができるものではありません。
向き不向きのあることですから、本当に相応の人材がいないことには、指揮官は指名できませんね。

勢力によって人数にばらつきがあり、その勢力の人たちの性質にも違いがでてきます。
たまたまその勢力内で才能ある人材がいればいいですが、こればかりはどうしようもありません。

指揮官は、言わば人を指図する立場です。となると多少なりとも人望のある人でないと指示をきいてくれないでしょう。
そして指示のうまい人は、必ず丁寧な文章を心がけます。上からの偉そうな物言いで発言すると、不快感を覚えない人はいません。
こういった必要最低限の細かい配慮も、指揮官には必要になってくるわけです。

・指揮官の有無
いかに優秀な指揮官がいたとしても、全員がその指示通りに動いてくれるわけではありません。
指示の内容にもよるでしょうが、確実に指示に従ってくれる有志、及び部曲の協力と、その人数が相応の数でないと、
大規模で細かな作戦の展開はほぼ不可能といえるでしょう。

当然、少数なら少数の戦い方があります、それは指揮官や作戦を考える人の力量にもよるでしょうが、
必ずしも、指揮官がいるから勝てるというものではありません。

もちろん局地的にであったとしても、合戦の勝率は上がるでしょうが、
「指揮官の存在」が合戦勝利の絶対条件ではないのです。

● 結局指揮官はいたほうがいいのか?

前述の通り、「指揮官」の目的が「合戦を勝利に導く」ことであったとしても、
「指揮官の存在」が合戦勝利の絶対条件ではないのです。
つまり、「指揮官」は必ず必要というものではありません。

仮に、優秀とまでいかなくても皆さんが思い描く「指揮官」と呼べる役割を、
拙くもそれなりに遂行できている人がいたとしましょう。

しかし、その勢力がその指揮官の指示の元に、それなりの勝ち星を挙げたとしても、
ある日突然、指揮官がいなくなったりすると、指揮官に頼っていた人たちが途端に烏合の衆となることもあるわけです。
ゲームでもリアルでも、永遠などありません。いつかは人がいなくなることもあります。

そうなったときに指揮官が交替できるのであれば、新しい指揮官の下で合戦に挑むのもよいでしょうが、
そこまでの体制を整えられるかどうかは、その勢力のお国事情にも大きく影響するでしょう。

また元々指揮官がおらず、しかし指揮官がいなくても動けるように、
部曲や連合単位で情報収集と作戦立案を行い、戦場チャットで進軍ルートや人数などを端的に報告できるような
勢力であれば、指揮官がいなくてもそれなりには動けるはずです。

また合戦の基本的な情報に関しては、指揮官がいなくても、個々人がそれぞれ情報を収集すればよいのです。
公式サイトをはじめ、当サイトでも合戦に関する様々な情報を取り揃えていきますので、是非ご活用下さい。

指揮官がいたほうがよい、よくないは、結局は各勢力のお国事情にあるのではないでしょうか。
その勢力にとって「指揮官」が必要であり、できそうな人がいればあったほうがよいでしょうし、
該当者がいない、もしくは必要のない勢力であれば、別にいなくてもかまわないのです。

しかし本当に才能のある「指揮官」がいる勢力は、既にもう「指揮官」が存在しているはずでしょう。
「指揮官」がいてほしいと考える勢力ほどそういう人がいないということです。
「指揮官」が出てきそうにない勢力で無理に「指揮官」を求めず、
いなくても合戦で行動できる準備をしておけばよいのです。
そしてある日突然「指揮官」が名乗りを挙げたときは、様子を見守り、時に皆で盛り立ててあげましょう。

あくまでこれは1つの考えであり、結論ではありません。
こういった問題は簡単に結論を出せるものではないですし、出してしまうと楽しさが半減するものだとも思っています。

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