高松の旅


●その日の高松は混沌としていた。
  まるでこれから起こるであろう、大震災を予感させるが如く。


手打ちうどん 一代 高松城

高松の旅 目次

タイトル 旅行日時 都道府県 旅行先・観光したもの 移動
手段
メンバ
備考
高松の旅 2011/03/11 香川 高松城、高松シンボルタワー、うどん 青春18切符 1人旅 東日本大震災
発生当日

混沌の高松城と手打ちうどん 一代

青春18切符で、日帰りで香川に行ってきました。
本州と四国を結ぶ橋は3つあり、このうち電車で通ることができるのは瀬戸大橋のみ。
つまり本州から電車で四国へ渡る場合、岡山で乗り換えて南下するルートしかないということです。

青春18切符で関東方面へは4回ほど行ったことがあるんですが、博多方面へは今回が初めてでした。

岡山に向かう途中、同じく青春18切符を使って旅行する数名のおばさま達に遭遇。
どうやら京都から来たらしく、兵庫県と岡山県の間辺りの瀬戸内海に面する地域に行くそうです。

ですがどうやらそのおばさま達、乗り合わせたおばあさんとの会話で、乗り換えなくてよい場所で
電車を乗り換えたために目的地を通り過ぎた様子で、急いで引き返していきました。

そのおばあさんは「和気」で降りるらしく、その間ずっと談笑させていただきました。
香川出身で今は岡山の「和気」に住んでいて、香川や岡山の魅力について語ってくれました。
飴玉も4つほどいただきました、ありがとうございます。
旅はこういう人とのふれあいがあってよいですね。

さて、岡山に到着し、マリンライナーへ。
以前から通ってみたかった瀬戸大橋をくぐって四国へ。
8分くらいかけて瀬戸大橋を渡ります、ちょっとテンション上がりました。


そして香川の中心都市である高松に到着。
香川へは1度、徳島方面から車でうどんを食べに入ったことがありますが、高松の訪問は初めてでした。


そして高松を見たことで、四国全ての県庁所在地を訪れたことになります。
規模的には、やはり愛媛の松山が最も大きく、高知、高松は中堅、徳島は他の3都市よりは小規模、といったところのようです。


普段の日はもっと穏やかなんでしょうが、その日の高松は混沌としていました。
駅前でアンデス風の人たちがスピーカーにつないだ民族楽器っぽいものを鳴らしていましたが、
彼らは関東でも天王寺でも見たことがありますので、きっと日本各地を旅しているのだと思われます。
今日はたまたま高松にいたってことなんでしょうか。相変わらず演奏する曲目は「コンドルは飛んで行く」のみ。
マイクを通して大ボリュームで演説する政治家もいましたし、ちょうど成人式なのか、振袖やスーツ姿の若者も目立ちました。

大ボリュームの政治家はいるわ、アンデスのメロディーがスピーカーで響くわ、
振袖の若者はいるわと、普段いないであろう人たちが集まりに集まり、かなりカオスでしたね…。

昼食は高松駅からも近いうどん店「手打ちうどん 一代」へ。
名物の「かき揚げうどん」はどうやら今日は売り切れのようで、「えび天うどん(大) 」を頼みました。
なかなかのボリューム。小のほうがよかったかな。
  

味は、やや出汁が期待していたほどではなかったですが、麺はなかなかで、天ぷらはおいしかったです。
以前食べた香川のうどん店でも、天ぷらものは美味しかったですので、やはり讃岐うどんには天ぷらが合うのかもしれません。

昼食後、町をうろうろ。折角なので高松城に入ることに。
入場料は200円、高松城というよりはそれを含む公園に入るような感じ。
名称は「玉藻公園」。
  

ちょうど雨が降っていて、しかも平日の昼ということもあり、人の入りはガラガラ。
歩きながら目に付いたものを写真に収めていきます。
  

これは岩の上に芽が出たという、ど根性松。


園内を歩き回って思ったんですが、なんというか、この高松というところは城まで混沌としていますね。
なにせ天守閣のバックに、高松シンボルタワーが堂々と聳え立っていて、景観は良いとは言えないんですよね。


石垣は工事中で壊れていますし、清掃や木々の手入れで、業者の車両やらもちらほら。
しかも驚いたのは、敷地内には園内のスタッフと思われる自転車や自動車が、
建物の裏なんかに思いっきり停められていて、生活観が悶々とあふれ出ているのです。
  

景観の配慮などあったものではなく、風情があるとはお世辞にもいえません。
高松城、侮りがたし!


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帰路中に迎えた地震発生

そしてこの日は、日本にとって運命の日でありました。
そう、巨大地震です。

高松駅に戻った私は、14時40分のマリンライナーで、岡山へ向け出発していました。
東北地方太平洋沖地震が発生した14時46分、私はまだ香川県にいて、走行中の列車の中でした。
そのときには電車の中ということもあって揺れを感じることはなく、
瀬戸大橋に差し掛かったあたりで、車掌からのアナウンスで地震発生を知ったのです。


アナウンスによると「東北地方の地震により、東海で停電があったため、
静岡方面の新幹線の運転を見合わせております」ということでした。
私が乗っていた電車は岡山が終点であり、岡山駅は新幹線発着駅ですから、このようなアナウンスになったのでしょう。

東北地方に地震があったはずなのに、なぜ静岡で停電なのだろうか、と、私は少し不思議に思っていました。
これが本当だとすると、相当大きな地震ということになり、にわかには信じがたい話でありました。

岡山駅に到着したのが15:32でした。
岡山駅は東京方面の新幹線が止まっているということで、普段より人が多く集まっているようでした。
イスが全て埋まってしまい壁際に立ち並ぶ人、駅員に何か話しかけている人、構内のテレビモニターに見入る人。
私は岡山駅にはこれがはじめての訪問となりますが、
おそらく普段の岡山駅はもっと人が少ないはずでは、と感じるほどの人の多さでした。


私も駅のテレビを少しだけ見たのですが、その時点で太平洋側の海岸線で津波の危険がある、という情報が流れていました。
とりあえず大阪に帰るのが先決かと、テレビをそれ以上見なかった私は、
その時点ではこれほどの巨大地震であるとは気が付いていませんでした。

帰りの電車では夕方に差し掛かっているとあって、やや人が多かったですが、
地震の事を気にかけている人はちらほらいたものの、電車の中の様子は至って普通でした。

私が大阪に帰ったのは19時すぎくらいで、家に帰ってテレビをつけて、
そこで初めて今回の地震がこれほど巨大なものであったことを知ったのです。
近場に出かけていた家族は、揺れはあまり感じなかったものの、
その時にいたショッピングセンターでも地震の事をアナウンスしていたそうです。

思えば混沌としていた高松あたりから、何かしら不気味な違和感はあったのかもしれませんね。
いや単なるこじ付けですが、それにしても世紀の大地震の時に、
なぜ普段住んでいる大阪ではなく、たまたま訪れた香川県にいたのか…。

地震発生直後の瀬戸大橋から見た海面は、それほどの波はなく穏やかそのものでした。
しかしあと1時間電車を遅らせていたとしたら、瀬戸内の海ももっと荒れていたのかもしれません。

これがもし関東方面へ出向いていたならば、影響なく帰ってこれたかどうかは分かりませんでしたね…。


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