広島2大世界遺産の旅


●世界が知る負の遺産「原爆ドーム」と、日本三景の1つ「安芸の宮島」。
  この2大世界遺産が語り教えてくれるのは、母なる地球や人々への慈愛だろうか。


安芸の宮島 原爆ドーム

広島2大世界遺産の旅 目次

タイトル 旅行日時 都道府県 旅行先・観光したもの 移動
手段
メンバ
備考
広島2大世界遺産の旅 2011/08/07 広島 広島駅、厳島神社、原爆ドーム、
平和記念公園、平和記念資料館
青春18切符 1人旅 運命の日は
1945/8/6
世界遺産

厳島神社へ

広島への訪問はこれで3度目となりますが、広島中心地をじっくりと観光したのはこれが初めてでした。

1度目の訪問は学生時代、当時の広島の友人の案内で広島城を観光して、その友人の家に泊めさせてもらいました。
2度目は旅行記にもありますが、「四国・山陽ドライブ」の時です。この時は尾道に立ち寄り、尾道ラーメンを食べただけでした。
今回は全て18切符という事で、かなりハードな旅になりました。

今回は広島の2大観光地で世界遺産にもなっている、原爆ドームと平和記念公園、
日本三景の1つで「安芸の宮島」とも呼ばれる、厳島神社へ行ってきました。
一応これで、日本三景は全て見たことになります。

「安芸の宮島」は、なぜかうちの家族、親戚のほとんどが訪れたことがあるらしく、
おそらく親族で最も旅行に行っているはずの私だけが行ったことがないという状態でありました。
まぁこれでなんとか、親族にも顔向けできるってものです。

前日は18切符で総社まで移動し、親戚の家に1泊させて頂きました。

翌朝、総社から一路広島へ電車で移動。
広島駅には降りず、まずは厳島神社のフェリー乗り場がある宮島口駅へ。
同じJR線なので乗り換えもなく楽です。

世界遺産へのフェリー発着駅というだけあってか、小さいながらも整備されています。


宮島口駅から、JR宮島口桟橋へ移動します。
ここには横断歩道がないため、地下通路を通って向こうに渡ります。
  

フェリー乗り場に到着。どうやらフェリーは2社あるようです。


宮島フェリーはJR西日本の管轄であるため、青春18きっぷを見せればタダで乗ることができます。
移動費が安くなるだけでなく、18きっぷをさらに有効活用できた気分です。
このJRフェリーでは、9時10分から16時10分まで全便、大鳥居に最接近する「大鳥居便」を運行しているそうです。
最初、間違えてJRでない方の入り口へ向かってしまいました。

今日は日曜ということもあってか、すごい人です。結構並んでます。


船が来ました。いよいよ乗船。並んでいた客を全て運べるだけの規模はあるようです。
車もそのまま乗せて渡れるようですね。


船は凄い人でしたが、なんとか3Fの右寄りを確保。
ここからなら、接近したときに鳥居がよく見えるのだとか。

再接近といっても、ギリギリここまでが限度のようです。
ズーム写真でこの距離。


厳島に到着。着岸後まもなく出られました。
鹿児島の桜島フェリーもそうですが、日常的に運行している船はスムーズで良いですね。


乗ってきた船はこのタイプでした。船の種類はいくつかあるようです。


厳島側のフェリー駅に到着。ここで切符を渡します。
18切符を見せると、やや年配の駅員さんが、見た目に似合わず体育会系のように「はい、OK!」と言ってくれました。


観光案内所で厳島の地図を入手。
どうやら今日の干潮は9:01で満潮は15:53のようで、今はちょうど、これから満潮になっていくタイミングであるようです。


駅を出ていざ散策。
宮島桟橋、つまり宮島側の船発着場から厳島神社へは、やや離れています。
ここからは徒歩で移動しつつ、途中にあるスポットを見学していくことになります。


まず驚いたのは鹿の多さ。噂には聞いていましたが、これほどとは…。


奈良公園より数が多く、人懐っこいやつばかりです。
本来野生の鹿らしく、餌やり厳禁なのですが、これだけ観光客がいると餌をあげる人もいるでしょう。
鹿たちもそれに慣れてしまって、結局は悪循環かもしれません。
良くも悪くも、鹿は厳島の名物になってしまっているようですね。

世界遺産の石碑。


日本三景碑も。


ここにも鹿が沢山。厳島には相当な数いるようです。


「特別 史跡及名勝 厳島」と書かれています。


このあたりから、だんだんと店が多くなり、賑わってきます。


ここがメイン通りの表参道商店街。
土産や名物品はここで存分に探すことができます。


厳島の名産品としては「日本一の大杓子」で有名な杓子、新鮮なものを焼いて提供してくれる牡蠣、
そして「もみじ饅頭」の3つが代表格といえるでしょう。私はこれが目当てです。

「もみじ饅頭」は今や全国区となった食品ですが、発祥はここ厳島だそうです。
今でも厳島の名産品として、専門店が多く立ち並んでいます。
20件以上の店があり、店舗によっては焼きたてをいただくことができる他、
ここでしか手に入らないタイプの「もみじ饅頭」も多数あります。

予想より早い時間帯に着いたので、「もみじ饅頭」探しは昼食を兼ね後ほどの楽しみとして、
まずは厳島神社の方へ向かうことにします。

商店街を抜けると、鳥居が見えてきました。


鳥居の横に移動して見ると、奥に大鳥居が見えました。


鳥居をくぐり、まっすぐ進み


見えてきたこれが、厳島のシンボルとなっている大鳥居。


先ほど船で見たときより、潮が満ちてきているのが分かります。
今、鳥居の下まで行くとすると、足元が濡れるのは確実ですが、それでも多くの人が向かっているようでした。


写真だと分かりにくいですが、足元の波を見ていると、潮がどんどん満ちてくるのが目視で分かります。


潮が満ちていない状態で神社の方を向くと、こうなっています。


厳島神社の入り口へ。ここで入場券を買います。


神社の入り口。横には手を清める水。
  

神社内。人は多いです。外人もちらほらいました。
結婚式を行っている団体さんもいるようです。
  

神社から見る大鳥居。満潮の方が絵になるんですが、仕方ないですね。


厳島神社は人が多くてあまりゆったりとは見れませんでした。
人が少なく、かつ満潮の時に来れればよかったんですが、贅沢は言えませんね。この時期は朝来るのがよいのかも。


厳島神社以外の建造物も見に行きます。


これは大願寺(だいがんじ)
正式な呼び名は「亀居山方光院大願寺」。
開基は不明、建仁年間(1201年〜1203年)の僧、了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹。
  

厳島神社沿いの通り。ここも土産屋が立ち並びます。


少し離れた場所にある「岩村もみじ屋」さんに立ち寄りました。
「もみじ饅頭」の名物店は大通り以外にも点在しています。


ここでは焼きたてを頂くことができました。
ホカホカで餡が完全に固まっていないのが、焼きたての特徴のようです。
出来立てをいただけるのは広島の店舗くらいでしょうか。


一服後、五重塔へ。
それほど段数は多くないものの、暑い中の階段上りはしんどいですね。
  

高さは27.6mで、応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられているそうです。
五重塔は中に入ることはできず、近くで見るだけでした。


五重塔のすぐ前には豊国神社(とよくにじんじゃ)がありました。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として
毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂だそうです。
島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきたとか。
秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、
板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。

入場料100円を払い、靴を脱いで中へ。


ここは日陰で風も通るので涼しく、ゆったり座って寛いでいる人が沢山いました。
  

暫しの休憩の後、「もみじ饅頭」探しに、表参道商店街に戻ります。

商店街の少し脇の道に入ったところにある、坂本菓子舗さんで1つ試食し、8個入りを購入。
ここは餡にこだわっている店だそうです。
  

続いては紅葉堂さんの名物「挙げもみじ」を試食。
1つ150円でした。なかなか美味しかったですが、土産用は控えました。
  

表参道商店街にある、日本一の大杓子。
ここも観光名所になっていて、観光客がひっきりなしに記念撮影をしていました。


続いて、七浦堂さんで5個入り300円(これは安い)の饅頭を買います、ここは自家製餡使用。


そして商店街を出てフェリー乗り場までの間にある、ミヤトヨ本店さんで6個入り500円を買いました。
ここは他の店ではもう行っていない中、今でも手焼きで「もみじ饅頭」を作っているそうです。


行ってみたかった宮島を見、好物の「もみじ饅頭」もしっかり堪能できたように思います。
宮島から原爆ドームへの直通便のフェリーもありましたが、今回は青春18きっぷを使っての旅ということで、
やや時間はかかるのを承知で、来た道を引き返し広島へ戻ることに。

帰りの船は、行きとは違うタイプのようでした。2Fの船室で座ります。


宮古島口側に到着。今から宮島に向かう人はなおも混雑中。
厳島神社は人気がありますねぇ。


駅までの帰り道、このような看板を発見。
少し洒落た宮古島口の案内図のようです。


行きと同じく地下道を通り、駅へ。
次は広島駅の手前、横川駅を目指します。


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原爆ドーム〜平和記念公園〜平和記念資料館

広島に原爆が落とされた日時が1945/8/6 午前8時15分。
この旅行に行った日から見て、ちょうど66年前の昨日になるわけです。
毎年8/6には様々な催しが行われますが、残念ながら私は1日ずれての訪問になりました。
しかし翌日ということで、前日捧げられたばかりの花束はまだ置かれているようでした。

平和記念公園へは、広島駅から回るとやや時間をロスするため、1つ手前の横川駅で降りました。


ここから路面電車(広電)に乗り、「原爆ドーム前」駅へ。
  

10分ほど乗り、「原爆ドーム前」駅で下車。
ここから原爆ドームは目と鼻の先。


信号を渡り、公園の方へ進むと、見えてきました。


これが原爆ドーム。
柵の中には入れませんが、意外と近くまで接近して見れるようです。
  

慰霊碑の前に手を合わせる人も多くいました。


原爆ドーム周辺は自由に歩き回れますので、360度、ドームを見回ることが可能です。
歩き回りつつ、アングルを変えて原爆ドームを撮影。私以外の観光客の多くもカメラを構えていました。


一番上の部分をズーム。
おそらく上の骨組みは補修が行われているのでしょうね。


爆心地はここから近い上空。
それにしても、よく全壊を免れたものです。
  

散乱している瓦礫もある程度は回収されたのでしょうが、今残っているこれも当時のままなのでしょうか。


原爆ドーム内部。


川沿いには石碑が建っていました。
  

川はかなり汚く、クラゲのようなものが大量発生していました…。


原爆ドームを一頻り歩き周り、次は近くにあった動員学徒慰霊塔へ。
これはとある財団法人が建てたということのようです。


平和記念公園の方へ歩きます。途中にある案内板。
このフォント、どこか恐ろしげです。


橋を渡り、平和記念公園へ。


橋から見る原爆ドーム。


これは原爆の子の像。
「原爆で亡くなったすべての子供たちのために慰霊碑を作ろう」と呼びかけ、寄付により完成したもの。


像の下には石碑と、周りには花束。


後ろのブースにあるのは、捧げられた大量の折鶴。学校からの寄付が多いようです。


像に背を向けると、このように公園が広がっています。


左手には観光案内所。マップをもらいました。


公園の奥へ歩いていくと、見えてくるのは…。


原爆死没者慰霊碑です。周りには昨日置かれたばかりと見られる花束がいっぱい。


各国来賓代表、知事や大臣、内閣総理大臣からの花が並べられています。


中央で祈りを捧げる人の行列が、絶え間なく続いていました。


中央からは撮れませんでしたが、私は横から失礼して、手を合わせ祈りました。
正面中央から立った場合、中央にちょうど原爆ドームが収まる形で見えるようです。


原爆死没者慰霊碑からさらに進むと


こちらも忘れてはいけません。広島平和記念資料館。
  

出口方面には、どうやら外国人の団体旅行客もいたようです。


早速中に入ってみます。こちらも人が沢山いました。入場料は50円。安いですね。


展示内容に関しては、日本で反戦教育を受けた人ならば誰もが知る内容ばかり。
戦争開始から原爆投下までの流れを解説したものや、原爆の悲惨さを伝えるものです。
これは是非、実際に皆さんに見て欲しいものですので、ここでは簡単にダイジェストで紹介します。

戦争開始から原爆投下までの流れを、パネルで表示。


そして原爆投下。その直後の時間を指したまま壊れて動かなくなった腕時計。


これは原爆投下前の広島の街のミニチュア。奥が原爆ドーム。


こちらは逆向き。左下のグリーンの屋根が投下前の原爆ドームです。
右下にあるT字の橋は「相生橋」といい、原爆投下のターゲットになった橋。


そしてこれが原爆投下後の広島の街の様子。多くの建物が跡形もありません。恐ろしい威力です。


T字の相生橋の近くに建っているのが原爆ドーム。この建物が今でもこのまま保存されています。


2階へ移動。ここからは原爆の悲惨さを訴えるものが多数展示してありました。


あまり写真は撮れませんでしたが、原爆投下直後に町をさまよった人のオブジェや、
被爆によって痛々しい姿になってしまった人たちのパネル写真などがありました。
高温によって形が変形してしまったガラスや、当時の人たちが所持していた品などが多数ありました。
まだ反戦教育を受けていないであろう年端も行かない子は、怖くて泣いているようでした。


このオブジェは、原爆投下後の街の様子と、原爆が爆発したと推定される位置を立体的に赤い球で表したもの。
このように、空中で爆発し、広範囲を焼き尽くしたようです。


一通り見た後、建物を後にしました。
一方通行になっているようで、帰りは入り口とは違う通路から出ることになります。


人が多かったのでゆったりとは見れませんでしたが、これだけ多くの人が関心を持っているというのは、良いことです。
外国人もちらほら見かけました。反戦教育がある日本人だけでなく、やはり外国人の方にも是非見て欲しいですよね。

時間もおしてきたので、原爆ドーム前駅に戻ります。


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広島駅へ〜広島風お好み焼き〜帰ってもみじ饅頭

途中、相生橋を渡りました。この橋は全国でも珍しいT字橋。


ここがT字橋の交差部分。車も路面電車も走ります。
このT字部分が上空から見ても分かりやすいということで、原爆投下の目印にされてしまいました。


T字部分から見る原爆ドーム。


さて、駅に戻ってきました。


広島方面への電車は、待ち時間5分ほどでした。
こちらは相生橋の方向を向いて撮影。


反対側はこうなってます。このあたりは紙屋町で、この先には広島の繁華街・八丁堀があります。


電車に乗り込むも、乗客が多く、やや電車の到着が遅れてしまったようです。
本来20分くらいの距離を、30分もかかってしまいました。

終点・広島駅では全ての扉がオープンし、なんと各扉の前に駅員がスタンバイ。
外で運賃を払うことができるようになっています。これは効率的ですね。


ここが広島駅。


駅前には噴水があります。待ち合わせ場所によさそうですね。


そして噴水の奥には路面電車(広電)乗り場があります。市民の足ですね。


駅内部へ。ここはホームの上ではなく横に駅ビルがあるという感じです。


そして今日は広島カープの試合があるようで、続々とファンが詰め掛けていました。
混雑するので、帰りの切符は買っておいてくださいというアナウンスが流れています。
この辺は阪神タイガースでも同じですね。


対戦相手が巨人とあって、広島なのに巨人グッズが販売されていました。
今日の試合は集客力がありそうですね。えらい人でした。


写真を撮りそこねましたが、広島カープのスタジアムは広島駅から近く、路線沿いにあるため電車に乗るとよく見えました。
主要駅から徒歩圏内という、極めてアクセスの良いスタジアムではないかと思います。

まだ時間があったので、駅ビルに入っているASSEへ。
2Fにある飲食エリアへ移動。


このフロアには、広島名物のお好み焼きの店舗も多くありました。
混雑している店も多かったですが、それほど時間に余裕はないので、営業時間になったばかりのこちらのお店に入りました。


関西名物にもお好み焼きがありますが、広島風と関西風には違いがあります。
関西風は戦前に誕生し、具と記事を混ぜて焼き、場合によっては客自信が調理することもあるのに対し、
広島風は戦後に誕生し、具と記事を分けて重ねて焼き、家庭ではなくプロが調理するという認識があり、
火力も強めで山芋は入れず、麺類を入れることも多く、地域によって内容に差があったりするそうです。

私が注文したのは「卵」と「そば」バージョン。「そば」の代わりに「うどん」のチョイスもできます。
注文すると、目の前の鉄板で焼いてくれます。


これが広島風のお好み焼き。美味しくいただきました。


名物を食べて、満足して電車に乗り込みました。

しかし帰りの広島から大阪までの帰路は、あまりに疲れすぎ、翌日体調を崩してしまいました。
今回は総社から広島、宮島往復にフェリー、広島から大阪と18切符を使いまくりでしたが、炎天下を歩き回り、
電車移動総時間は9時間半と、かなりハードな旅となってしまったようで、家に着いたときはもうフラフラ。
18切符は確かに安いですが、決して若くなく、体力にも自信がない身の上には、さすがに今回のような長旅は堪えました。

帰った後、買ってきた「もみじまんじゅう」を早速チェック。

坂本菓子舗さん。餡にこだわった伝統の味。


七浦堂さん。自家製餡を使用しています。


ミヤトヨ本店さん。今や手焼きで作っているのはここだけだそう。


どれもいけました。どれがどう美味しいのかは完全に個人の好みですので、是非食べ比べて見てください。
今回のもみじ饅頭は、どれも厳島でしか買えず、生物なので賞味期限も短めという新鮮な商品です。
日を置くと味が変わっているのがわかりました。やはり買ってすぐに食べるのが最適なんでしょうね。


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原爆ドームを見学して

日本に生まれ、日本に住む者として、一度「原爆ドーム」というものをこの目で見たいと思っていました。
平和記念公園、平和記念資料館も見学でき、有意義な広島観光であったと思います。

実際に見てみると、話には聞いていたものの、やはり衝撃的でありました。
資料館には、原爆投下直後の時間を指したまま壊れている腕時計や、原爆により死亡した人の遺品、
被爆した人たちの写真や身につけていたものなどがあり、当時の様子が分かるようなミニチュアも置かれてありました。

日本には「反戦教育」というものがありますから、できれば日本全国のほぼ全ての子供たちが、
授業の一環として、ここを訪問するようにしていただきたいですね。

日本は世界唯一の被爆国であり、広島と長崎の名は世界中の人が知っています。
そして我々は世界唯一の被爆国で生まれ育った者として、反戦と反原爆を掲げ、
それを世界に発信していく責務があるのではないかと思うのです。

折しも東日本大震災によって、福島の原発から放射能が漏れ出し、長く日本に甚大な影響を与える事態に発展してしまいました。
本来、反核の重要性を十二分に認識しているはずの日本が、このような惨状になってしまったというのは、
大変嘆かわしく、世界に対しても恥ずべき事でありましょう。

放射能は人間のみならず、環境までも大きく破壊してしまいます。
核を生み出してしまったことは、人類に対する以上に、地球に対する罪であるのかもしれません。

世界から見れば日本はとても平和な国です。戦争など起こる気配すらないどころか軍隊もありません。

かつて戦争を経験した人たちも今は高齢者となり、生き証人とも言える彼らから、
直接の戦時体験を聞くことは、月日が経つにつれ、なお一層困難になっていきます。

人間には、過去に起こった歴史と向き合い、「教訓」にする力があります。
原爆にしても原発にしても、起こった事に対して目を背けてはいけません。
そしてその「教訓」を、年月が経っても色あせないような形で残さねばなりません。

世界に目を向ければ、今も戦争はどこかで起こっていて、たとえ戦争が終結したとしても、
それによって生まれた負の遺産に苦しみ続けている人が、国があるわけです。

同じく日本も、戦争を経験し、敗戦の後に復興した国として、世界に発信できることはきっとあるはず。
そのためにも自国だけではなく、他国の事も含めて、もっと多くのことを、多くの人が知らなければならないのではないかと思います。

もしまだ広島に訪れたことがない方は、是非一度、いずれかの機会でご覧になってみてはいかがでしょうか。


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